声職人の
畑中ふうさんのように「日々コトバと真剣勝負」というほどではないですが、ボクも仕事柄台本書いたり、ナレーション原稿を書いたりするので少しは“正しい日本語”について考えたりします。
もう、ディレクターをはじめて15年くらいになりますが、
それくらいのスパンでも日本語がどんどん変わっていってる実感があります。
たとえば、今後ますます増えていくであろうカタカナコトバの平板アクセント化。
「ゲーム」とか「デッキ」とか「モデル」とかね。昔はそのあたり神経質でしたけど今は文章の流れや耳に気持ちいい方を使ってます。
“ら抜き”も代表的な日本語の変化ですね。
もう“ら抜き”じゃないとまどろっこしくて耳障りに感じることもあります。これも作品の趣旨や流れ次第では積極的に使っています。
“ら抜き”のナレーション原稿に怒ったナレーターさんもいましたがw
コトバの変化には寛容にならざるを得ない、というのがボクの考え方です。
松岡正剛の「日本流」という本にこんなハナシがありました。
平安時代の貴族文化では“イケてる”というというニュアンスを「あわれ」というコトバで表現してましたね。
でもアンチ貴族文化の鎌倉武士達は自分たちの“イケてる”が欲しくて「あっぱれ」というコトバを生み出したんだそうです。
おもしろいです。当時の貴族達はさぞコトバの乱れを嘆いたことでしょうw
今も同じですよね「カワイイ」とか「ニート」とか「クール」とかも“イケてる”ってことでしょう?時代が必要なコトバを生み出していくんですね。
で、最近注目してるのが本来“書きコトバ”であるはずの“2chコトバ”が“はなしコトバ”に進出し始めてること。
コンビニで肩ぶつかった女の子に「あふぉでつか」と言われたときはいろんな意味でショックでした。